昭和44年、一高甲子園の記録
冥途の土産になる前に、私が作成していた膨大なスクラップから、主だった記事を紹介します。
一高健児の意気を見よ!!
全道高校野球秋季大会で優勝、センバツの夢つかむ。
縦3.5mx横5m
当時、一番大きかった北海高校より大きな旗をと作られ、北海道で一番大きな応援団旗になりました。
旗手は交代なしで、一試合掲げていたのですからハードな役目でした。
巨漢岡校長、顧問佐久間先生、馴山先輩、captain山田のお母さん・お兄さんも居ますね。
昭和43.9.25 甲子園切符をかけた決勝戦。ここでセンバツの夢をつかみました。
1978年(昭和53年)3月、廃校時より行方不明になっていた応援団旗が45年の時を経て見つかりました。
廃校時、OBの長谷道宏先輩(4期副団長・故人)が、無くなっては困ると寄贈者の白糠中村章二先輩(4期応援団長)に預かってくれと持ち込んだそうです。
倉庫の片付けをしていて見つけました。もう少しで焼却処分されるところでした。
ありがとうございます。1週間後の同窓会でお披露目させて頂きます。
--------2023.10.14 中村章二先輩と佐藤清光・小形幸司・岩渕鉄男--------
帯広の知人から知らせが、十勝毎日新聞にも掲載されました。ビックリ!
寄贈経緯が分かる様に名入れしました。
北海道の代表になりました。
このでかい、横断幕はどこに行ったのだろう?行方不明です。
「一般乗客を驚かしたのが、名物の応援団」と記載がありますね。
釧路から大阪、34時間32分の旅です。遠かったな!!
お宿はウイクリーマンション、一回戦勝利のため予算欠乏で住友ゴムの寮にお世話になりました。
誰か住友ゴムに就職してくれと、顧問が言ってましたね。
26日夜に大阪入りしたばかりなのに、27日初日の試合なんて、おまけに四国帝京五高とは!
28日には釧路に向けて34時間の旅に出なければならないなんて、なんてくじ運悪いと思ってました。
無欲の勝利です。
帝京五高の登記欣也投手は後に実業団神戸製鋼を経て、1978年27歳で近鉄バファローズにドラフト1位指名を受けてます。
甲子園でも参加校の中で一番大きい応援団旗と紹介されてました。永六輔さんのインタビューを受ける、北谷旗手。
こんな珍事件もありました。私も佐久間先生とお見舞いに行きました。
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